本日は、私の話です。
障害のある長男がなかなか歩き出さなかったため、
4歳の時に、通っていた療育センターの通園(幼稚園のようなもの)を休んで、
集中的にリハビリを行うリハビリ入院をしました。期間は約3ヶ月半。
療育センターの通園についてはこちら↓
リハビリ入院は、一人で過ごすことができない子に対しては付き添いが必須だったため、
私も長男に付きっ切りで病院に寝泊まりすることになりました。
その時、ストレスからかコンビニばかりの食生活になってしまったからか、
入院中に指定難病である潰瘍性大腸炎という病気になってしまったというお話です。
この病気、一度かかったら一生治りません。(涙)
筆者紹介
- 横浜市在住
- 最重度知的障害のある7歳長男(ぽんすけ)と4歳長女(みーさん)を育てる母
- フォトグラファー
リハビリ入院とは
医師を中心として、理学療法士、作業療法士、言語療法士、心理士などがチームを組み
プログラムを設定して集中的にリハビリを行うものです。
付き添い入院のここが辛いよ
まず大前提として、リハビリ入院はぽんすけにとって本当に効果がありました。
先生方も優秀で、この入院のおかげで手引きでの歩行ができるようになりました。
今でも行ってよかったと心から思っています。
(リハビリ入院の良さについても改めて書きたいと思っています。)
それを踏まえた上で、母にとってはなかなかハードだったので、
頑張った私の記録として書かせて頂きます。
母には病院食が出ないので、コンビニか週1のお弁当
まず問題はここです。
入院しているのはあくまでも子どもなので、子どもには病院の食事が出るのですが、
付き添いである私には出ません。
当時その病院では食堂も無く、気軽に外出もできなかったため
唯一院内にあったコンビニのご飯が主食。
週1回だけ、同時期に入院しているママ達みんなでまとめて宅配のお弁当を取っていたので、
それが唯一の楽しみでした。
簡易ベッドが狭すぎて眠れない
最初の印象は、「何これ、細っ!」です。
寝返りも打てない細さで、初日は一睡もできませんでした。
最初の週末に早速自宅から三つ折りマットレスを持参。夜はそれを敷いて寝ていました。
シャワーに入れない日がある
シャワー室が少なく混み合うため、シャワーは予約制で週3回まで、
という決まりがありました。金曜日に帰宅するとしても1日足りません・・・。
相部屋なので気を遣う
4人部屋だったので、同じ部屋のママに迷惑をかけないようにと
寝かしつけの際の音など、なにかと気を遣いました。
母同士の輪に馴染むまでドキドキ
入院期間が長くなるので、母同士とっても仲良くなります。
入院の時期は人それぞれ。先に入っているママ達で既にその輪が出来上がっているため
後からその中に入っていくのはドキドキでした。
最初の週に、うまく輪に入れずいたたまれない気持ちに。
こんな気持ち久しぶり、と泣きそうになりながら、すぐに帰りたくなったのを覚えています。
最終的にはとっても仲良くなることができました。
リハビリ入院をしてまで子どもの成長発達を考えるような気合いのあるママ達ばかりなので、
とても沢山の良い情報を得ることができました。ありがたいことに今でも繋がっています。
子どもから離れられない
小学生以上の子は、学校の代わりのようなものが開かれているので
リハビリの無い時間にはその学校に子どもだけで参加することができます。
しかし未就学児はそういったものが無く、ほぼ100%一緒にいなければなりません。
リハビリは毎日あるものの2〜3時間で終わってしまいます。
ぽんすけはお昼寝もしなかったですし、残りの時間はひたすらプレイルームで遊ばせたり、
院内や病院の周りをお散歩したり、自主リハビリをするなどして過ごしていました。
(唯一、自分がシャワーを浴びる時(15分程)は、預かってもらうことができました。)
きょうだい児と離れなければならない
一番辛かったのはこれです。
まだ1歳になったばかりの長女みーさんとは、週末しか会えません。
別れ際、泣いて離れたくないという長女に、とにかくごめんねという気持ちしかありませんでした。
我慢してくれた長女のみーさんや、預かってくれた両親には、今も感謝しています。
しかし、そうは言っても、みーさんがまだよくわかっていない時期だったので
このリハビリ入院にも行けたのだと思っています。
4歳になる今は、ママっ子のみーさんを説得するのは難しいと思います。
途中で現れたお腹の症状
そんなこんなでストレスのかかる入院生活の中、1ヶ月くらい経ってからでしょうか、
頻繁に下痢をするようになりました。
しばらくすると、明らかに不自然な乳白色でピンク交じりの便が出るように。
これはおかしいと、入院中に一度外出許可を取り、診察と大腸検査をしました。
結局その時の検査ではわからなかったのですが、その後も症状が続き血が混じるように。
リハビリ入院終了後、別の大きな病院で再度大腸検査をしてもらったところ、
潰瘍性大腸炎であるとの確定診断を受けました。
潰瘍性大腸炎とは
安倍元首相の病気、と言うとわかってもらえることが多いです。
大腸の粘膜にびらんや潰瘍ができる大腸の炎症性疾患で、
完治に導く内科的治療はなく、薬により腸の炎症を抑え症状をコンロトールします。
重症の場合や薬物療法が効かない場合には、大腸全摘出の手術が必要となります。
また、発病して年数を重ねると大腸がん発症のリスクが上昇するため、
定期的な内視鏡検査が必要です。(←今ここ。再来月にまた憂鬱な内視鏡検査を控えています。)
潰瘍性大腸炎のここが辛いよ
リハビリ入院が終了して自宅に戻ってからの症状が、とても辛かったです。
症状が出ている時期を活動期、症状がおさまっている時期を寛解期と呼ぶそうなんですが、
厄介な活動期がなかなかおさまらず、ひたすら下痢が続きました。
また腸の炎症のために微熱が続くようになり、コロナの時期だったのでとても困りました。
薬を変えたり、お尻からステロイドを注入したり、色々試して
今はやっと症状が落ち着き普段通りの生活を送っています。
(もう二度と活動期には戻りたくありません。)
症状が出ている活動期に最も大変だったことは、この4つ。
頻繁に起こる腹痛
頻繁にお腹が痛くなります。
下痢の痛さと生理痛を合わせたような嫌な感じが一日中。
出しても出しても出切っていないような変な感覚が続きました。
便意が突然襲ってくる
とにかく突然なんです!毎回間に合うかどうかの瀬戸際でした。
症状が落ち着いた今でも、朝は毎度突然なことが多いです。
症状が出ている時には、怖くてとても電車には乗れませんでした。
トイレから出られない
ひどかった時には、ほぼ1日中トイレにこもっていました。
ずーっと便意が続くので、出られないんです。
当時1歳だったみーさんが、よく遊んでいた小さなお家にお人形さんを配置する際、
「ママここ」と言って毎回ママ人形はトイレに配置されていました。
薬が大きくて飲みづらい
なかなか合う薬が見つからない中、試した薬で一番合うものがとてつもなく大きかったんです。
私は錠剤が苦手だったので、毎回吐きそうになりながら飲んでいました。
現在はすっかり慣れ、毎日しっかり4錠飲んでいます。
おわりに
障害児育児は全般的にそうなのですが、どうしても母が犠牲にならざるを得ない状況が多いです。
もちろん、このリハビリ入院については、行くも行かないも親(&病院)の判断になります。
行かないかないという選択もできましたが、
どんどん体重が増えるぽんすけが歩かないことによる介助の負担というのは、年々大きくなるばかり。
そしてそれを引き受けるのは主に母である私です。
自分のためにも、ぽんすけに集中的なリハビリを行って、なんとか歩いてもらいという気持ちで、
幼い長女みーさんを残して入院する決断をしました。
私の場合は第一子に障害があったので、その大変さにだんだんと慣れ、
大変なことが当たり前になってしまっていました。
しかし第二子であるみーさんが産まれ育てていると、
ぽんすけの付き添いごとの多さ、全てのことにおいて必要になる発達のサポート、そして身辺の介助など、
かけなければいけない時間の圧倒的な多さに改めて驚きます。
みーさんが、何も教えていないのに勝手に歩き出し、トイレに行き、お箸を使い
ペラペラお喋りをする・・・
こんなに何もしなくても育つものなの?と毎日びっくりしっぱなしです。
私の大腸の病院では、ストレスがなるべくかからないようにしてください
というようなことを言われましたが、障害児を育てている限りそれはなかなか難しい。
もしこのブログを読んでくれている障害のある子を持つお母さんがいたら、
声を大にして言いたいです。
「障害児を育てているあなたは、本当にすごいです!育児スペック、めっちゃ高いですよ!!」と。
なかなか褒めてもらえないので、自分にも言っているつもりで書いてみました。
本日は、障害児育児、母は辛いよ。というお話でした。
長々と、最後までお読み頂きどうもありがとうございました。
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