- 「我が子に障害があるとわかったけれど、受け入れられない。」
- 「障害があるかもしれないと言われたけれど、信じたくない。」
この記事を読んでくれている方は、
お子さんに障害があるとわかったばかりの方が多いでしょうか。
ショックで受け入れることが難しいという方もいると思います。
私自身、我が子に知的障害があるとわかってからもうすぐ6年になります。
長男が2歳になる前でした。
障害があると告げられた時は、とてもショックでした。
7歳になっても意思疎通のできない長男のことは、とにかく心配が尽きません。
しかしながら現在の我が家はというと、それでも家族4人、楽しく暮らしています。
当時のことを思い出しながら、障害をどうやって受け入れてきたか、
どう向き合ってきたかをご紹介します。
筆者紹介
- 横浜市在住
- 最重度知的障害&肢体不自由児の7歳長男(ぽんすけ)と、4歳長女(みーさん)を育てる母
- フリーランスでカメラマンをしながら、仕事と障害児育児のあり方を模索中
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「産まれてからしばらくは障害がわからない」という事実
長男の障害がわかったのは、2歳になる前。
出産時に軽い心疾患が見つかり心配したものの、
直接的に障害と結びつくような異常はありませんでした。
ぽんすけのような知的障害の場合、
普通に産まれてきて育っていく中で、後からその障害に気付きます。
今まで障害のことについては本当に無知で、
「障害は後からわかるもの」という認識がありませんでした。
そのため、2歳になる前まで障害があるとは夢にも思わず、
(周りは薄々気付いていたようですが、)私は通常通りの子育てをしていました。
そんな状況だったため、
療育センターでの診察時に障害があるだろうと告知を受けた時には、
ショックと共にいろいろな感情が込み上げてきました。
「今まで成長がゆっくりだったのは私のせいじゃなかったんだという安堵の気持ち。」
「先生はわかっていただろうに、
なぜもっと早く言ってくれなかったのだろうという不信感。」
「これからどうなってしまうのだろうかという不安な気持ち。」
「両親はショックを受けるだろうな、という悲しい気持ち。」
とても一言では言い表せない複雑な感情でした。
障害がわかって一番辛かったこと
「将来を諦めなければならなかったこと」
障害がわかって何よりも辛かったのは、思い描いていた将来を
全て諦めなければならなかったことです。
ぽんすけは男の子なので、サッカーをやらせるか野球をやらせるか、とか
字が綺麗な男の子は格好いいから習字もいいな、とか
将来は彼女を連れてきたりするのだろうか、とか
夫との何気ない会話で出てきた楽しい未来は、山ほどありました。
子どもができたとわかった時からずっと想像してた素敵な未来。
その未来が叶わないとわかった時、全てを手放さなければならないというのは
大きなショックがありました。
どうやって受け入れてきたか
受け入れる方法は、人それぞれかもしれません。
私の場合は、思い返してみると以下の6つのことに救われてきました。
- 同じ状況の仲間と会話をする
- 先に経験している人(同じような障害の子の先輩)を探して話を聞く
- 会うと元気が出るような友人とお喋りをする
- 知識を付ける
- 夫や家族の助けを借りる
- 時間による解決・・子どもの年齢と共に落ち着いていく
①同じ状況の仲間と会話をする
共感してもらうこと、大変さを分かち合うことで、
「自分一人ではない」という気持ちになり精神的に救われます。
今も変わらず、同じ境遇の仲間との会話やちょっとした悩み相談は
欠かすことのできない大切な時間です。
②先に経験している人(同じような障害の子の先輩)を探して話を聞く
何が一番不安かというと、
これから我が子がどうなってしまうか全く想像がつかないことでした。
当時の私は、一生懸命同じような障害の子を探していました。
長男の障害は、医療的ケアが無いにも関わらず
原因不明で身体の成長発達が異様にゆっくりというもの。
あまりいないタイプだったため、いつも情報を集めて探していました。
療育センターで見つけた時には、心から安堵。
わからないことはなんでもそのママに聞いていました。
③会うと元気が出るような友人とお喋りをする
昔からの、気の置ける友人とのお喋りは、
何も考えずにただただ笑うことができてストレス発散になります。
理解のある友人との何気ないお喋りの大切さは、
大人になってから身に染みて感じています。
逆に表面的なお友達や、会った後に元気になれない友人とは
少しずつ疎遠になっていきました。
障害児育児の合間の限られた時間の中で、
本当に会いたい人とだけ会うようになったのだと思います。
④知識を付ける
先ほど「障害児の先輩を探す」というところであげたように、
不安になる原因はわからないことです。
知識をつけて少しでも不安を取り除くためにしたことは、以下の3つ。
- 障害関係の本を読む
- 講演会を聞きに行く
- 先輩の話を聞く
長男の障害とは少し違いますが、こちらの本はすごく興味深く、
続編も含めて全て読みました。
⑤夫や家族の助けを借りる
辛い時は、夫や家族に素直に伝えてやり過ごしていました。
夫の言ってくれた、
「ぽんすけがぽんすけであることには変わりない。」
という言葉に支えられてここまでやってこられた気がします。
夫や家族の理解がなければ、ここまでスムーズに受け入れることは
難しかったのかもしれません。
⑥時間による解決・・子どもの年齢と共に落ち着いていく
知的障害がわかる、2歳〜5歳あたりというのは、
子ども自身も情緒が安定せず、一番大変な時期かもしれません。
加えて、自分自身も子どもの障害特性に慣れていな状態。
お互いどう対応すれば良いのかわからず、
受け入れる覚悟のないままにどんどん大変になる障害児育児。
それが更に自分自身を追い詰めていきます。
親が対応を学び、子どもの情緒も安定してくると
少しずつではあっても楽になっていくのかなと思います。
子どもの対応方法については、療育センターで学びました。
大きくなったらなったで、他の悩みも出てくるのですが、
小さい頃の訳のわからないあの大変さとは、また別物だと思っています。
我が子の障害を受け入れるということ
どんな子どもにも一人一人個性があります。
同時に、「障害は個性である」と言う人もいますが、
障害は「個性」ではなく「特性」だと思っています。
特性は、生きていく上で不便(障害)になるものです。
その不便さを家族や周りが理解して環境を整えてあげることで、
本人も周りも過ごしやすくなります。
無理をさせて「普通」という型にはめるのではなく、
その子の特性にあった環境や道筋を作ってあげることができるのは、
親である自分です。
将来我が子が困らないように、子どもの特性を個性とは別物として
受け入れることが大事だと考えています。
我が子に障害があるということ
長男に障害があったから出会えた人たちや、得られた知識は計りしれません。
それでもやはり、長男に障害があって良かったと思ったことは一度もありません。
もしも障害が無かったらこうだったかな、と同じくらいの年齢の子どもを見て
想像してしまうことも、ごくたまにですがいまだにあります。
ですが、そう後ろ向きになったところで、長男の障害が無くなるわけではありません。
思い返してみると、長男に障害があったから出会えた人たちは、
とても素敵な方々ばかりでした。
そして長男の障害のおかげで知ることができた知識、
働き方や生き甲斐を、違う場所で見つけられている現状があるということも事実。
それは今の私にとっての財産になっています。
これから先のことを考えると、不安や心配は尽きません。
その気持ちを隠すのではなく、周りや家族に話して助けを求めながら、
一歩一歩進んでいくことが今の私にできることです。
まとめ
我が子の障害がわかって、落ち込まないという人はいないと思います。
けれど、障害があっても無くても可愛い我が子であることに変わりはありません。
無理してすぐに受け入れようとせず、
ゆっくり時間をかけて、今の自分にできることをやっていく。
私自身はそうしているうちに、自然と受け入れていくことができました。
そうはいっても、しんどい時には離れる時間が必要です。
自分やきょうだい児との時間を作るための預け先がありますので、
利用してみるのも良いかもしれません。
事務的な手続きなどは、こちらにまとめています。↓
お出かけの時はヘルプマークを活用すると安心です。↓
最後までお読み頂きありがとうございます。
今悩まれているどなたかの参考になれば嬉しいです。
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